先日、実家でもらってきた野菜の芽。
「増えすぎたから、もってって」と父に言われました。
85になる父、冬の間は、「体がしんどくて、畑なんかやる気にならない!」とぼやいて昼寝ばっかりしていたのに、あたたかくなったら、やっぱり動き出しました。
秋冬に滋養をためてゆっくりやすみ、春とともに徐々に動き出す。
年をとると、動物のように自然のいうことをききながら、季節と共に動くのが良いのでしょう。
増やすの得意な父
「もったいない精神」「DIY精神」が息づく父。
通常、元気な芽を残し、周りを引っこ抜く「間引き」をしていくものですが、ピンセットでほどきながら植え替えて増やしているそうで、植える場所が不足するらしい。
このやり方が正しいのかわかりませんが、私も「もったいなあ」と思って自然に同じことしてました。
父はピンセットでやるそうで、そこまで細かい作業は私にはできず、移植に失敗して、枯らしてしまうこともありますが・・・
上の芽たちも、ていねいに分けて、ただ今、増殖中です^^↓
ミニ白菜と、サンチュだったかな?
鉢をのせている台は私がつくりました。リフォームの際、窓の格子に使われていた木材を、廃棄せずとっておいてもらってリメイクしたものです。「40年以上前の木材がまだ使えて感動した。」って、けち?
そう言えば、私を良く知る人には「けち」と言われることがあります。
こねぎの球根の部分がおいしい、と、夫がひっこぬいて収穫してくるのですが、5センチほど残して球根を取り出し夏の終わりにまた植えれば再び収穫できるので「球根ごとたくさん抜かないように」と注意したら、「けちだ」と言われましたし、
小さな芽も、息を殺し、慎重に植え替えていると、やっぱり、「けち」と言われます。
でも、けちのどこが悪いのでしょうか~((^.^))
不足感が人を育てる?
でも、まじめな話、「足りない環境だからこそ上達する」ということはあるのではないかなあ、と思います。
先日、マツコさんの番組でコシノジュンコさんが出演されていて、
「若い人は、すぐに何でも手に入っちゃうから気の毒かも、私の頃はなんにもなかったから、自分で作るしかなかったもの・・・」というような内容のことをおっしゃっていました。
父も生まれは日本海の島の漁師町。米をつくりながら漁をしていたので、ほぼ自給自足の暮らしができていました。漁でとれたばかりの新鮮な魚をおかずに美味しいお米が食べられて、豊かさを感じました。
しかし私の子どもの頃は、コンビニもなく商店もなかったので、お菓子や乳製品肉はなかな手に入らず、トイレはボットン、お風呂はまきだった覚えがあります。
すぐには物が手に入らないと、父のような「自分でなんとかしよう」という気持ちが育まれるのでしょう。
ちょっとした不足感や、すぐには手に入らない環境が大事なのかもしれません。
☆
なつかしのチョココロネをみつけたので買ってみました。
昔食べたのと違って、口のところがチョコでしっかりふさがれています。
コロネ、可愛い名前、日本発祥のパンなのですね。
・1949(昭和24)年刊行の『最新各種製パンの秘訣』(締木信太郎著、太洋書院)
「渦巻きパン(スネーク)」
「コルネツト」どうやら上記の「コルネット」が変化して、「コロネ」の名前が定着したようですね。語源は、角や角笛(ホルン=コロネ)の意味だと言われていますので、あのクルンと巻いた姿は、昔から変わっていなかったようです。
お読みいただき、ありがとうございました。